■美神の肢体‥‥‥ボディデザイン(2) レーシングカーでは当然のことだが、ウインドスクリーンを通さないで見るドライブフィールをご存知だろうか。そのガラス1枚有るのと無いのではまったくの大違いなのである。風景は一変し、そのドライビングのダイレクト感は他にたとえようもない。クルマを通して、風景と会話する感覚さえ味わえるのである。 ルーフが無いことで素晴らしい開放感を味わえるオープンカーの心地よさを知る人は多いだろう。その感覚をベースにさらにもう一歩、フロントピラーが除かれウインドスクリーンを通さずに前を見た時、どれほどの爽快感を味わえるかを想像してみてほしい。 このボディの大きな特徴はなんとボルトを緩めるだけでウインドスクリーンを外せるようになっていることだ。こうしてそのダイレクト感を現実のものにする、レーシングスクリーンに変更ができるようになっている。 全天候を可能とした1台の車で、レーシングカーと同様の景色の流れを愉しむことができるのだ。
サイドシルをまたぎ、シートに体を沈めてハンドルを握る。ペダルに足を乗せてあたりを見まわす。そのわずかな、はじめての時の印象が意識の有無にかかわらず後の判断に覆いかぶさってくることはインテリアでも同じだ。 止まったままの状態なのに、である。 それにしても、第一印象の善し悪しはとても重要だ。 インテリアでは、デザイン=機能デザインといっても過言ではないだろう。そのデザインテーマはエクステリアと同様に、時代を超越した普遍的なデザインだ。もちろん、スポーツカーのコックピットとして必要にして十分な機能を実現してもいる。 そのコックピットは身をゆだねた途端にスパルタンな走りのためのパッケージングと映り、"COMFORT"に馴れきった身体にはちょっとタイトに映るかもしれない。だが走り出せば、そのタイトさがここちよさに早変わりする。 さりげなく目の前に置かれたメーターが、必要なデータを確実にドライバーに伝えてくれる。エクステリア同様に、世代や人種、さらに時間をこえて人間の自然な感覚に訴える方向が選ばれている。 自動車産業界では、急ピッチで再編が行われ、アメリカのクルマをドイツ人がデザインしたり、イギリスのクルマにアメリカ製のエンジンが搭載されたりするのも、今では珍しいことではなくなった。 そんな今、イギリス車はイギリスらしく、イタリア車はイタリアらしく、ドイツ車はドイツらしく、といった作為がかえって気になるようになったのはぼくだけだろうか。しかもデザイナーはしたたかに、外国人が容易にイメージできるイギリス、といったデザインを打ち出してきている。 そんなデザイン潮流のなかにあって、"VEMAC RD180 "はコスモポリタン的である。新しい希有な価値のひとつが、そこにある。 |